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//Another view : Seichiro//

監督生棟に向かって階段を上っていると、白と支倉が礼拝堂に向かうのが目に入った。

白の服装からすると、ローレル・リングの活動だろう。

……。

最近、白と支倉の仲がいい。

どこまではっきりしたものかはわからないが、互いにある程度の好意を持っているのだろう。

ふむ。

あの、おとなしくて引っ込み思案の白が、異性に好意を持つとは。

この学院の後期課程に進んでからというもの、白はずいぶん成長したように思える。

精神的に自立してきた、と言えるかもしれない。

それ自体は、とても喜ばしいことだ。

そして、俺もそれは望んでいたはずだ。

白がいつまでも俺を頼っているようではいけないことは、明らかだったはず。

俺の言うことを「はい」「はい」と聞いているばかりだった白。

その白が、自分で幸せを見つけようとしているのなら。

俺はそれを応援したい。

したいのだが。

監督生室には、まだ誰も来ていなかった。

窓を開ける。

湿度の低い、爽やかな熱気が部屋の中のわずかな埃を舞わせていた。

……。

ここは、島の中でも高いところにあるため、遠くまでよく見える。

学院の敷地の外。

家々の屋根。

島に住む人々。

昔から、島に住んでいる人々。

我が東儀家は、そういった人の中で成り立っている。

皆を束ね、敬愛され、支え、支えられ。

そんな東儀家だからこそ、果たしてきたことがある。

果たさなくてはならないことがある。

【白】「兄さま」

ぱたぱたと駆け寄ってくる白。

【白】「兄さま、お呼びでしょうか」

【征一郎】「ああ」

旧図書館。

ここは、ほとんど人の出入りがない。

伊織に、白をここによこしてくれるよう言付けておいた。

それから一時間半。

ローレル・リングの活動を終えてそのまま来たのだろう。

白の服装は変わっていなかった。

【征一郎】「……草がついているな」

【白】「今日は礼拝堂の周りの草取りを」

【白】「支倉先輩が手伝ってくれたので、早く終わりました」

嬉しそうに言う。

その笑顔に、かすかに胸が痛む。

【征一郎】「白」

【白】「はい」

【征一郎】「生徒会の役員になって二ヶ月ほど経つが、どうだ」

【白】「まだ一人前の役員として仕事ができているわけではありませんが……」

【白】「皆さんに良くしていただいてるので、楽しいです」

【征一郎】「楽しいか。それはいいことだ」

【征一郎】「……新人の支倉はどうだ」

【白】「支倉先輩は、わたしと同じ時期に役員になったのに、いろいろ活躍されていてすごいです」

【白】「わたしも早く支倉先輩のようになりたいです」

【征一郎】「ふむ」

【白】「それに、いろいろと優しくしていただいて」

【白】「まるで……」

【白】「まるで、兄さまがもう一人できたようです」

白は。

間違いなく、支倉に好意を寄せている。

そして、それを抑えようとしているのかもしれない。

しかし。

この先に待っているのは、絶望だけだ。

絶対に叶わない望みを持つことは、望みがないことよりつらいだろう。

どうせ叶わないのなら。

その望みを、真剣に望むようになる前に、忘れることだ。

【征一郎】「白」

【白】「はい」

【征一郎】「……」

【征一郎】「しっかり、仕事を覚えるんだぞ」

【白】「わかりました」

【征一郎】「さ、監督生棟に戻りなさい」

【白】「はい」

……。

切り出せなかった。

ふ……はは。

俺も、ふがいないことだ。

白に、俺の意図を察したのを期待するのは酷……だろうな。

保険として、支倉に事情を話し、諦めてもらうように持っていけないだろうか。

望みが、真剣になっていく前に。

//Another view ends//

//June 22//

いい天気だ。

今日は、白ちゃんと海岸通りで待ち合わせをしている。

監督生室の備品の買い出しだ。

一緒に学院から出るのではなく、現地で待ち合わせるのは初めてになる。

【白】「あっ、支倉先輩!」

俺が待ち合わせの場所に行くと、白ちゃんが先に来ていた。

遠いうちから俺を見つけ、犬のように駆けてくる。

【孝平】「白ちゃん、早いね」

【白】「ふふ。そんなことありませんよ」

時計を見ると、1時ちょうど。

白ちゃんは、何分前からきてたんだろうか。

【孝平】「待った?」

【白】「ええ、10分ほど」

ふむ。

【孝平】「ん~、だめだ」

【孝平】「こういう時は、嘘でも『いえ、わたしも今来たところです』って言わなきゃ」

【白】「ええっ! す、すみませんでした……」

真に受けて、謝る白ちゃん。

つまらないことを言いながらも、白ちゃんがあまり待っていないようなのでほっとした俺。

【孝平】「あ、いや、冗談だ」

【孝平】「ほら、昔のドラマとか漫画とかでありがちな会話だよ」

【白】「ああ、そうだったんですか」

【白】「びっくりしました」

初めて会った頃は、少しおどおどして他人の様子を窺っていることが多かったと思う。

それが今では、俺の目の前で、ころころと表情が変わる。

見ているだけでも、楽しくなってくる。

【白】「では、どこから行きましょうか?」

【孝平】「そうだなぁ……目的の店があるわけでもないから、端から順に見ていくか」

【白】「はいっ」

古くなってヒビが入った、来客用のティーカップ。

白ちゃんが欲しがっている新しい茶漉し。

副会長がご所望の、ちょっといい紅茶。

少しサビが浮いたので、少人数用の傘立ても買い換える。

ひとつひとつは細かい買い物だが、全部達成しないとミッションは成功しない。

となれば、端からあたってみるのがいいだろう。

目についた店には、全部入ってみる。

【白】「このティーカップはどうでしょうか?」

【孝平】「ちょっと予算オーバーかなぁ」

【孝平】「お、こっちは?」

【白】「伊織先輩が『センスが古い』って言いそうです」

【孝平】「安いもんなぁ」

【孝平】「この傘立て、良さそうじゃない?」

【白】「あまり聞いたことがないメーカーのものは、少し不安かもしれません……」

【白】「それなら、こちらの方が」

【孝平】「それは大きすぎるんじゃないか」

【白】「うーん、そうですね」

十数店を回ったところで、傘立て以外は揃った。

傘立ては荷物になりそうだから、買うのを最後に回したのだ。

【孝平】「だいたい、こんなもんかな」

【白】「傘立てはどうしましょうか」

【孝平】「二件目の壺の傘立てにはちょっと惹かれた」

【孝平】「でも……あれは、ちょっと高すぎたかな」

【白】「そうですね。予算をオーバーしてしまいます」

【白】「五件目の竹でできた和風のはどうでしょう」

【孝平】「あれか。たしかにキレイだったけど……」

【孝平】「お客さんが多い時とか、壊れやすそうじゃない?」

【白】「言われてみれば」

【孝平】「見た目も値段も悪くなかったんだけどな」

【白】「なかなかしっくりきませんね」

買い物を始めてから3時間。

そろそろ、一息入れたくなってきた。

【孝平】「一度、休憩してお茶でも飲まないか」

【白】「お茶、ですか」

白ちゃんの目がキラリと光る。

これは……和菓子を狙うハンターの目か。

【孝平】「この場合の『お茶』は、日本茶だけではなく紅茶やコーヒーや甘いものも含む」

白ちゃんも、俺が気づいたことを察して、にこっと笑った。

【白】「そうしましょうか」

海浜公園にやってきた。

【白】「あれ?」

【白】「海岸通りではないのですね」

【孝平】「ああ。入ってみたい店があって」

【孝平】「ほらあそこ。海沿いの」

オープンカフェ風になっていてテーブルもある、倉庫風の建物。

【白】「ああ、あのお店ですか」

【孝平】「入ったことある?」

【白】「いいえ、一度もないです」

【白】「外からは何度も見ているのですが」

【孝平】「俺もそうなんだ」

【孝平】「じゃ、入ってみないか?」

【白】「えっ、でも、少し値段も高そうで……」

【孝平】「高いものを頼まなければ、大丈夫だろ。たぶん」

【白】「わ、わたしも少しなら」

【孝平】「いやいや。ここで後輩の、しかも女の子に出させるわけにはいかない」

【孝平】「じゃ、行こうか」

身構えて入った割には、普通の、コーヒーがおいしいお店だった。

オープンテラスの席に案内される。

それなりの値段のメニューもあったけど、その辺は避けて、飲み物をオーダー。

二人で食べようと、小さなケーキも一つ頼んだ。

ケーキをつつきながら、あの店はセンスが良かったとか値段が手頃だったとかいう話をする。

あっという間に時間も過ぎていった。

おかわりしたコーヒーを飲みながら、二人で海を眺める。

【白】「支倉先輩とは、前にもここで夕焼けを見ていますよね」

【孝平】「ああ、そうだな」

【白】「本当は、こんなこといけないんですが……」

【白】「最近、学院にいるとなにか少しだけ、息苦しさのようなものを感じてしまって」

白ちゃんでも、そんなことを感じることがあるのか。

【孝平】「全寮制だもんな」

【孝平】「もし良かったら、またこうやって日曜日は外に出て遊ぼう」

【白】「ふふ、遊びに来ているのではなくて、今日はお買い物です」

【孝平】「お、ああ、そうだったか」

白ちゃんが、重くなりかけた空気を吹き飛ばして笑ってくれた。

良かった。

彼女には、ずっと笑顔でいてほしい。

【白】「わたし、好きです」

……。

【白】「この場所で、支倉先輩と夕日を見るのが」

【孝平】「あ、ああ」

【孝平】「俺もだ」

努めて平静を装う。

好きです、と言われたのかと思った。

もしかしたら……という思いがあるだけに、空振りした期待が恥ずかしい。

考えれば考えるほど恥ずかしくなってくる。

【孝平】「さあ、まだ傘立てが残ってる」

【孝平】「会長や東儀先輩も納得の逸品を捜さないとな」

【白】「はい」

恥ずかしさを海に投げ捨てるように、オープンテラスをあとにした。

その後、あれこれと迷いながら、傘立てを選ぶ。

一度決まりかけたが、やはり最初に見た店に戻って買うことにした。

シンプルな形でスチール製、色は黒。

これなら邪魔にもならないし長持ちしそうだ。

【白】「やっと、お買い物も終わりました」

【孝平】「そうだな」

【孝平】「色も、いいのが選べたし」

【白】「そうですね」

時間を掛けただけあって、傘立てに限らず納得のいく買い物ができたと思う。

値段も予算内に収まったし。

……と、そんな時。

【白】「ところで、今、何時でしょうか」

【孝平】「えーと」

と、腕時計を見て凍り付いた。

今ちょうど21時。

ジャストナウ門限。

ザーッと血の引く音が聞こえる。

【孝平】「今、門限だ」

【白】「えええっ」

【白】「どっ、どどどどうしましょうか!?」

【孝平】「とにかく、急いで戻ろうっ」

紙袋やらビニール袋やらを抱えた俺たち。

それらをがちゃがちゃ言わせながら、学院への坂道を上っていった。

校門を遠くからそっと見てみる。

【白】「どうですか?」

【孝平】「だめだ。完全に閉まってるし、守衛の金角銀角まで陣取ってる」

【白】「で、では……」

【白】「怒られるしかありません。おとなしく……」

しょんぼりしている白ちゃん。

もう少しで泣きそうだ。

【孝平】「いや、待てよ?」

【白】「?」

【孝平】「たしか、司から……」

俺は、学院の周囲を囲む塀を、校門とは反対側に向かって歩き出した。

【白】「どこへ行くんですか、支倉先輩?」

校門から遠ざかる俺を見て、心細そうについてくる白ちゃん。

【孝平】「うまく行けば、寮に戻れるかも」

【白】「え、でも」

少し前に、司から聞いたことがある。

バイトが長引いて門限を過ぎてしまい、校門が閉まった時。

通用口から入れてもらうのではなく、山中の抜け道からこっそり帰っていると……。

【白】「は、支倉先輩、暗いです……」

【孝平】「ごめん、もう少しのはず」

街灯もほとんど無い山の中。

修智館学院を取り囲む塀は続くが、道路は細くなっていく。

【孝平】「そろそろだと思うんだけど」

煉瓦を見ながら歩を進める。

ばさばさっ

【白】「ひゃっ」

【孝平】「大丈夫? ふくろうかな」

【白】「え、ええ。大丈夫です」

【孝平】「ごめんな。もう少しして駄目だったら戻ろう」

そう言ってまもなく。

アスファルトの道路がオフロードになり──

塀に脚を掛けて乗り越えられそうな場所を見つけた。

【孝平】「ここか」

【白】「なんとか……中に入れそうですね」

荷物も、上と下で受け渡しながらなら大丈夫だろう。

【白】「で、でも」

見上げると、山は真っ黒だ。

星や雲が見える夜空は、実はとても明るかったのだと気づく。

【孝平】「ここまで来たら行ってみよう」

【白】「わ、わかりました」

俺たちは、斜面を登り始めた。

【孝平】「足もと、気をつけて」

【白】「はい」

暗闇に目が慣れてきた。

月光は、思っていたよりずっと明るい。

しかし森の中の道では、その月明かりをも木々の葉が遮ってしまう。

俺たちにとって救いだったのは、その道が、案外人の足で踏み固められていたことだ。

【孝平】「ここ、意外とメジャーな道なのかな」

【白】「もしかしたら、そうなのかもしれませんね」

【孝平】「何十年も前の先輩も通ってたりして」

【白】「最初に通った人、すごいですね」

【孝平】「そうだな」

慎重に、慎重に歩く。

上り坂を一歩ずつ。

校門からの階段は、どれくらいの高さがあっただろうか……?

その、何倍も歩いたような気がしてしまう。

道に迷っていないことを願った。

そして、これは緊張しているからそう感じるだけだと、自分に活を入れる。

【白】「まだ……でしょうか」

白ちゃんを不安にさせてはいけない。

【孝平】「大丈夫さ。もうすぐのはずだよ」

そして言葉通りに。

なんと、寮のすぐ裏手に出た。

【白】「わ、こんな場所に」

【孝平】「寮からだと、こんな道があるの全然気づかないな」

【白】「そうですね……」

【孝平】「この道のことは秘密な」

【白】「はい」

【白】「あの、支倉先輩」

【孝平】「ん?」

【白】「えと……ちょっとドキドキしたけど、楽しかったです」

そう言って、白ちゃんが微笑む。

【孝平】「そっか。良かった」

【白】「兄さまに見つかったら、怒られてしまいますね」

【孝平】「そうかもな」

ぽん、と白ちゃんの頭に手を置き、よしよしと撫でる。

【白】「あ……」

【白】「初めて、兄さまに秘密ができました」

そう言った白ちゃんは、なぜか、少し嬉しそうだった。

//June 28//

放課後。

監督生棟に向かう途中、白ちゃんに声を掛けられた。

【白】「支倉先輩」

てこてこと、後ろから追いかけてくる。

俺は立ち止まり、白ちゃんが追いつくのを待った。

【白】「すみません」

【孝平】「あれ」

【孝平】「白ちゃん、今日は冬服?」

【白】「あ、これは……」

そう言って、ちょっと照れた顔になる。

【白】「昼休みに学食で、少しこぼしてしまいまして」

【孝平】「じゃ、今洗濯中?」

【白】「ええ」

【孝平】「良かった。風邪でも引いたかと思った」

【白】「ご心配をお掛けしました」

季節はずれの冬服を着た白ちゃんと、監督生棟への石段を上る。

監督生室では、山のように積まれた書類を前に副会長がうなっていた。

全部活から集まった、部活動調査書だ。

【瑛里華】「さーて、どこから手をつけようかしら」

【伊織】「お、揃ったか」

【伊織】「一筋縄で行かない部が出てきたら手伝うよ」

【瑛里華】「ふふ、兄さんの出番があるかしら」

【伊織】「ほほう。お手並み拝見と行こうか」

副会長も、気合いが入っている。

【征一郎】「去年までの資料なら、10年分俺がまとめておいた」

【征一郎】「部活動監査フォルダに入ってるから、見てみればいい」

そう言って、パソコンを指さす東儀先輩。

【瑛里華】「さっすが征一郎さん」

【瑛里華】「昔の資料は助かるわ」

【征一郎】「今年のこの書類も、誰かがまとめて入力しておかないとな」

【孝平】「あ、じゃあ俺がやりますよ」

【白】「わ、わたしもお手伝いします」

【伊織】「今年の新役員たちは働き者でいいねえ」

【伊織】「で、瑛里華。お話を聞きに行く部活は決めたかい?」

【瑛里華】「ええ。とりあえず一件は確定だから、今日はそこから行くわ」

【瑛里華】「いつも手強いフェンシング部よ」

【征一郎】「あそこか」

フェンシング部を持つ学校が市内に少ないこともあり、何より大会での成績がいい。

実績があると、部員数も増える。

加えて部員の平均成績が抜群という話で、先生方の覚えもめでたい。

優良な部だけに、予算を多く申請してくる常連だ。

【伊織】「楽しそうだから、俺は瑛里華についていくことにするよ」

【瑛里華】「ついてきてもいいけど、手出しは無用よ」

【伊織】「はいはい」

妹の成長が嬉しいのか、会長はご機嫌だ。

【征一郎】「俺も行こう」

【征一郎】「あそこの申請をそのまま通していたら、他の部に予算が回らん」

分厚いファイルを持って、同行を申し出る東儀先輩。

こちらも、最精鋭の三人組で臨むことになるようだ。

【伊織】「じゃあ、後は任せた」

【孝平】「わかりました」

【瑛里華】「じゃ、行ってくるわね」

戦闘モードの顔になって監督生室をあとにする副会長。

俺と白ちゃんは、三人を見送った。

残った二人で手分けをして、部活動調査書を入力していく。

夕方の監督生室には、しばらくキーボードを叩くカタカタという音だけが響いていた。

【白】「あれ?」

電気を点けようとした白ちゃんが、小さく首をかしげる。

【孝平】「どした?」

【白】「あそこの電球が」

指さす先を見ると、一つだけ電気が灯っていない。

骨董的な価値すらありそうなスズラン型の電灯ではなく、あとから設置されたと思しき副照明。

天井に直接ついているため、かなりの高さだ。

【孝平】「たしかこの前、東儀先輩が予備を……」

棚を開けると、交換用の電球が出てくる。

【白】「すみませんが、支倉先輩にお願いしてもいいですか」

たしかに、白ちゃんが椅子に上っても届かなそうだ。

【孝平】「ああ。まかせとけ」

椅子を二つ、照明の下に運ぶ。

靴を脱いで、その上に立った。

照明に手を伸ばす。

……。

と、届かない。

【孝平】「白ちゃん、ここの電球って、交換してるの見たことある?」

【白】「いいえ……ないです」

【白】「届きませんか?」

【孝平】「くっ」

背伸びをしてみたが……指先はまだ電球に触ることができない。

さて、どうしたものか。

【孝平】「その机、ここまで動かせないかな」

一度椅子から降り、白ちゃんと二人で机を動かそうとしてみる。

【白】「えいっ」

【孝平】「むっ」

【白】「とりゃっ」

……。

ぴくとも動かない。

【孝平】「こりゃ駄目だ」

【白】「どうしましょうか……」

【孝平】「脚立とかないかな」

【白】「二階で見たことはありません」

【白】「一階を探してみますか?」

【孝平】「それしかないか……」

体育祭関係のものをある程度整理したとは言え、一階に置いてある物は多岐に渡る。

しかし、残念ながらその中から脚立を見つけることはできなかった。

八方塞がりだ。

さて……。

……。

ピンッ

【孝平】「肩車だ」

【孝平】「俺が白ちゃんを肩車して、椅子に上れば届くんじゃないかな」

【白】「え……肩車したままですか?」

【白】「だ、大丈夫でしょうか」

【孝平】「白ちゃんなら軽いから、フラついたりはしないと思う」

【孝平】「危なかったら、すぐに下ろすからさ」

【白】「で、では……」

【白】「やって、みましょうか」

【孝平】「よし」

椅子を、もう一度照明の下に並べる。

そして俺がしゃがみ、白ちゃんが俺の方に乗る。

……と、しゃがんでから気づいたが、白ちゃんの太腿に俺の頭が挟まれることになるのか。

うわ。

ちょっと大胆な提案だった気がしてきた。

【孝平】「無理そうならやめてもいいぞ」

【白】「いえ、大丈夫です。やります」

スペアの電球を持った白ちゃんが、しゃがんだ俺の背後から、背中をまたいでくる。

肩に、白ちゃんの体重を感じ──

ふに

両耳が、白ちゃんの太腿の内側に触れた。

【孝平】「よっ」

【白】「わわわっ」

両脚に力を入れ、立ち上がる。

ふっと白ちゃんの体が持ち上がる。

想像していたよりも、ずっと軽い。

俺は、難なくまっすぐ立つことができた。

【白】「高いです……」

普段の白ちゃんの目線からすると、1メートルほど高くなっている。

世界も違って見えるかもしれない。

【孝平】「椅子に上るよ」

【白】「は、はいっ」

白ちゃんの足首を持つ。

両脚が俺の頭を軽く挟むように閉じられた。

ふわっ、と甘い香りがする。

【孝平】「よっ」

ここが一番難しいかと思っていたが、無事椅子の上に立つことができた。

【孝平】「手は届きそう?」

【白】「はい、大丈夫です」

【孝平】「じゃ、頼む」

キュッ、キュッ

電球を抜き取る音が聞こえる。

【白】「支倉先輩、重くないですか?」

【孝平】「いや、軽い軽い」

実際に、白ちゃんは軽かった。

あまり肉付きの感じられない腰回り。

細い足首。

それでも柔らかい太腿。

なんだか、鼓動が速くなってきたような気がする。

白ちゃんの体温を首周りに感じる。

なんか、変な気分になってきた。

ともすると脳内に欲望が生まれそうになるのを、必死に理性で押さえつける。

押さえつけなくては。

俺は、じっと作業が終わるのを待った。

キュッ、キュッ

換えの電球をセットしている音が頭上から聞こえる。

キュッ、キュッ

【白】「ふう。終わりました」

【孝平】「おつかれ」

【孝平】「じゃ、降りるよ。気をつけて」

【白】「はい」

また、白ちゃんの両脚が俺を挟む。

白ちゃんは、俺の頭に手を乗せてバランスを取っていた。

【孝平】「ほっ」

椅子から降り、白ちゃんを下ろす。

スイッチを点けてみると、換えた電球はちゃんと輝いた。

【孝平】「ふう。なんとか交換できたな」

【白】「そうですね。それと……」

【孝平】「何かあった?」

【白】「高いところから見た部屋の中は、新鮮で素敵でした」

【孝平】「そんなに?」

【白】「ええ」

【白】「支倉先輩や兄さまも、わたしとは違う景色を見ているのだなと思いまして」

【孝平】「はは、そんなに高くないよ」

【孝平】「白ちゃんは……これくらい?」

中腰になって、白ちゃんと目線の高さを合わせる。

【白】「……そ、そうですね」

目の前に白ちゃんの顔。

中腰になったせいか、その顔が近い。

【孝平】「……けっこう、低いんだな」

【白】「ええ。145センチしかありませんから」

【孝平】「……」

そのまま動きが止まる。

見つめ合う。

互いに、何かを言い出すきっかけも無いままに。

……。

白ちゃんの吐息を、肌で感じる。

近づいている。

少しずつ、少しずつ。

視界に入るすべてが、白ちゃんになっていく。

瞳が潤んでいる。

【白】「あ……」

白ちゃんが、ふと目を逸らした。

【孝平】「白ちゃん?」

【白】「あの、えと」

白ちゃんが、一歩引く。

【白】「ご、ごめんなさい」

【白】「あっ、ごめんなさいじゃなくて、その、お茶、そうだお茶でもいかがですか?」

早口でまくしたてる。

【孝平】「え、えっと」

【白】「あ……あの」

【白】「すみません……」

うなだれる。

……なんだ?

うぬぼれじゃなく、たぶん、いい雰囲気になったはずだ。

ちょっとショック。

でも。

白ちゃんが、ためらっているような。

白ちゃんが何かを思い出して、ブレーキがかかったような。

そんなふうに考えてしまうのは、俺に都合が良すぎるだろうか。

【孝平】「白ちゃん」

【白】「は、はい」

【孝平】「あのさ、もし何か……」

がちゃ

【瑛里華】「思ったより、時間がかかったわね」

【伊織】「いやいや、いつものことさ」

【征一郎】「あまり『いつものこと』でも困るのだが」

俺と白ちゃんは(おそらく)光よりも早く距離を取った。

どやどやと三人が室内に戻ってくる。

【瑛里華】「あら、どうしたの?」

【孝平】「い、いや。おつかれ」

【白】「お、おつかれさまです」

なんだかんだ言いながら、三人とも笑顔だ。

交渉は上首尾に終わったのだろうか。

【白】「あの、お茶をお淹れしましょうか」

【伊織】「ああ。頼むよ」

【瑛里華】「やっぱり、人間直接会って話し合えばなんとかなるもんよね」

【征一郎】「正攻法で寄り切った感じだったな」

【征一郎】「もう少しズルいやり方もあっただろうが、上出来だ」

【瑛里華】「正攻法は気持ちいいわ」

それからしばらく、副会長が今日の活躍について話してくれた。

……白ちゃんに聞きかけて聞けなかったこと。

何かためらう理由が、あるのだろうか。

//June 29//

翌日。

日曜日なのになんとなく早い時間に目が覚めてしまった俺。

学食に行って、爽やかに朝飯でも食うか。

そう決めて、寮を出た。

ラフな格好のまま外に出る。

学食のおばちゃんたちは日曜日も仕事で大変だなとか、でもシフト制で交代してるはずとか。

割とどうでもいいことを考えながら、食堂棟に向かう。

すると。

遠くに白ちゃんと東儀先輩の姿が見えた。

二人とも私服だ。

歩く方向から考えると、食堂から出てきたところだろうか。

そのまま道を横切り、校門の方へと歩いていく。

【征一郎】「雨が降らなくて良かったな」

【白】「そうですね、兄さま」

そうこうしているうちに、二人は校門につながる階段を降りていった。

家に戻るのだろうか。

……。

最後にちらっと、白ちゃんの横顔が見えた。

少なくとも、楽しそうな顔をしているようには見えなかった。

神妙な感じというのだろうか。

//Another view : Shiro//

【征一郎】「去年の七回忌と違って、今年は二人きりだ」

【白】「はい、兄さま」

兄さまとわたしは、校門を出てしばらく坂を下り、東儀家の方向に曲がった。

【征一郎】「花を買っていこうか」

【白】「いつものお店ですか」

【征一郎】「ああ、そうだ」

小さく古ぼけた花屋。

毎年、ここで花を買っている。

用意してあった花を受け取る兄さま。

線香とマッチも買った。

空を見上げると、灰色の雲が少し増えている。

【白】「少し、雲が出てきました」

【征一郎】「雨にならなければいいが」

花屋に見送られ、兄さまとわたしはさらに歩を進める。

旧市街の中心の道から折れ、坂道を登った。

道幅は徐々に狭まり、そのうち舗装もなくなる。

細い道の周りには、小規模な畑が続いていた。

畑をいじっていた人が、顔をあげてぺこりと頭を下げる。

兄さまとわたしも、会釈をした。

道の突き当たりには、斜面を這うように墓地があった。

古い墓地。

墓地の入り口には、簡素な作りの小屋がある。

扉や鍵は無い。

【征一郎】「俺は水を汲んでいくから、白は掃除をしていてくれ」

【白】「はい」

その中には、ホウキやちりとり、木製の桶、竹筒、それに水道などがあった。

見渡しても、兄さまとわたしの他には人影は無い。

【征一郎】「では、これを」

ホウキとちりとりを渡される。

【白】「はい。先に参ります」

墓地の中の石段を登る。

最上部まで続く石段は、古い墓石と新しい墓石が混在する墓地を二分していた。

周囲の墓に刻まれた苗字に見覚えがある。

時々、目の動きだけで左右の墓石を見る。

石段は、大きく立派な石で作られていた。

その一段一段を踏みしめて上る。

そして、最上段に着いた。

【白】「ふう」

石で作られた囲いの中に、いくつか「東儀」名義の墓石がある。

歴史を感じさせる朽ちかけのものから、真新しいものまで。

その中で、中心にある墓石にもまた「東儀家」と刻まれている。

苔むしており、それほど大きくはない。

しかし、石の「風格」のようなものを感じる。

わたしは、その墓石に一礼すると、その周囲をホウキで掃き始めた。

兄さまが、桶に水を入れて石段を登ってくる。

落ち葉などをちりとりに集め、竹筒の中にたまっていた水を捨てる。

新しい水を注いだ竹筒に、今日買った花を差した。

【征一郎】「これを頼む」

【白】「はい」

桶の水を墓石に掛け、清める。

兄さまはマッチをすり、線香の束ごと火を点けた。

しばらくして炎を消し、煙だけが出るようにする。

それを、墓石の前にそっと立てた。

【征一郎】「今日で、丸七年か」

【白】「そう……ですね」

七年前。

わたしはまだ子供だった。

まったくそんな気はしなかったが、兄さまもまだ子供だったはずだ。

【征一郎】「ちゃんと、今年から後期課程に進みましたと報告するんだぞ」

【征一郎】「父さんと母さんに」

【白】「はい」

父さまと母さま。

この墓石の中に眠っていると、兄さまに教えてもらった。

毎年こうしてお参りにも来ている。

でも……。

本当に、二人はここに眠っているのかな。

【白】「兄さまと一緒に生徒会役員になったことも、報告しないといけませんね」

【征一郎】「そうだな」

夏の薫りを含む風が、線香の煙を巻いて山の方へなびく。

兄さまとわたしは、静かに手を合わせた。

【征一郎】「……」

【白】「……」

兄さまの眉が、かすかに動いた。

わたしは、なぜか目を閉じる気になれず、線香の煙を見ていた。

【征一郎】「……」

【白】「……」

風が止んだ。

煙はまっすぐ立ち上ったあと、墓石の最上部と同じくらいの高さでたゆたう。

兄さまの言うことを信じたい。

でも、どこでずれてしまったのか。

今では「信じなくてはいけない」という思いに変わっている。

……。

どれくらいの時間が経っただろう。

上空で、円を描くように飛んでいたトビが、一声鳴いた。

【征一郎】「ん」

兄さまがまぶたを開く。

【征一郎】「そろそろ、戻るか」

【白】「はい、兄さま」

灰色の雲はいつの間にか流れ、頭上には青空が広がっていた。

遠くには、入道雲が高くそびえている。

高い日差しが、影を濃くする。

もう一度、夏の風が吹いた。

//Another view ends//

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